日本英語文化学会第20回全国大会 研究発表レジュメ

(1)斎藤秀三郎の英語上達論とリスニング指導
  柳浦恭(千葉経済大学短期大学部)

 明治・大正期に活躍した日本英学会の泰斗、斎藤秀三郎(慶応2年〜昭和4年)は約64年の
生涯で辞書や文法研究書、教科書や副読本など、200点を超える膨大な著作を残したが、斎
藤自身の英語学習歴や英語上達論についてはほとんど知られていない。
 本発表では、斎藤自身の英語習得の過程を窺い知ることのできる資料として"JUVENILE 
LIBRARY"(興文社、明治42〜43年)の序文を分析し, さらに大村喜吉氏が「学校文法の原型」
と評する"English Conversation-Grammar"(興文社、明治26年)の構成を踏まえてリスニング
教材を試作した。この教材を使用し、短大生および4大生を対象として半期に渡りリスニング
指導を行ったところ、授業アンケートでは好感触を得ることができた。
 斎藤が自らの英語習得の過程を振り返り、旧制岐阜中学校の生徒を相手に練り上げた方
法論は21世紀の現代日本で英語を学ぶ学習者にも益するところが少なくないと思われる。


(2)チョーサーの写本・カリグラフィーを通して
  佐藤志津子(立正大学)

 言語習得の段階は、最初に聞いた言葉を真似して話すようになり、次に文字を覚え、書いた
物を読めるようになります。その後で自分で文章を書けるようになります。「聞く」⇒「話す」⇒
「読む」⇒「書く」という段階を経て、最後に「書く」ことに辿り着きます。英語が日本に入ってきた
初期には「英習字」という科目がありました。しかし様々な事情から「英習字」が消えていきまし
た。「書く」という行為は単に「書く」行為のみでなく、頭と心を使っています。言語の4技能の中
で一番高度な技術です。昔は「書ける人」は限られた一部の人の特権でしたが、教育の普及と
共に殆どの人が「書ける」ようになりました。しかしパソコンなどの機器の発達と共に、自分の
手で「書く」ことが減っています。日本の書道には「写経」という分野があります。これは単に「書
く」という行為だけでなく、心と頭も使います。日本の書道は日本の文化を背景とした行為で
す。カリグラフィー(西洋書道)にも「写本」という分野があり、西洋文化を背景としています。カ
リグラフィー(西洋書道)には「実技」と「理論」の両面があり、この「理論」を通して「アルファベッ
トの起源と変遷」の一部を辿ります。この中で世界的に有名なチョーサーの「カンタベリー物語」
に焦点をあてます。
 

(3)『ニューヨーク映画批評家協会賞作品賞』データベース作成完了報告
  清水純子(法政大学)

 21世紀の英語教育において視覚情報は重要な役割を担う。映画は、内容の完成度の高さと
話題性、入手しやすさの点で最適の映像媒体である。忙しい英語教師の「どういう映画なのか
今すぐ知りたい」という要求にこたえるのが、映画データベースである。授業用映画データベー
スは、単なる映画愛好家向けではなく、映画による英語教育に役立つ作品を厳選する必要が
ある。
 この要求にかなう『ニューヨーク映画批評家協会賞』(New York Film Critics Circle Awards)
「作品賞」を私(清水純子)は、データベースの対象として選んだ。ニューヨーク映画批評家協
会賞は、批評家が選ぶ賞として1935年に設立された最も古い賞であり、娯楽性よりも芸術性
や社会性に優れた作品という定評がある。
 授業用映画データベースの特徴は、(1)授業と研究に役立つ専門性を備える――「英語学」
「英文学」「文化論」「地域研究」「コミュニケーション論」の授業用 および研究資料として有効な
手引きになる。(2)客観的情報の他に、記述者清水純子独自の主観的視点と見解を付加す
る。(3)すべての作品は、データ記述者清水が必ず一度は鑑賞したものである。未見未入手
作品は原則として存在しない。(4)1935年から現在までの受賞作品を、同じ項目をもうけたシ
ートを用いて網羅する。
 以上の趣旨と目的をもって、数年間の歳月を費やして作成した『シェヘラザードのシネマデー
タベース』の苦労談、今後の課題について披露し、あわせて皆さまのご意見やお知恵をお聞か
せ願いたい。


(4)現代の未来小説のナラトロジーとその技法――Kazuo Ishiguro のNever Let Me Go   
  Margaret AtwoodのThe Handmaid's Tale を中心に――
  日中鎮朗(法政大学)

 本発表ではカズオ・イシグロ(Kazuo Ishiguro, 1954-)の『私を離さないで』(Never Let Me Go
2005)とマーガレット・アトウッド(Margaret Atwood, 1939-)の『侍女の物語』(The Handmaid's
Tale, 1986)を中心に、これまでの未来小説、ユートピア/ディストピア小説と比較しながら、その
語りの技法(物語論(ナラトロジー))に注目して現代における未来小説の構造と意味を考察す
る。
 この二つの小説は子を産む生殖の器としての「侍女」と臓器提供のための「クローン」人間と
いう、ともに消費されるだけの資源としての存在が主人公=語り手であり、その非人間的な扱
い(dehumanization)とそれを許容する残酷な社会(inhumanities)という点において共通性を持
つ。また、ともに物語の半ばあるいは終わりまで物語の全体性は俯瞰的には与えられず、一
人称の語り手がその視点や意識の流れから語る現実の断片を読者は再構成しつつ、真相に
到達しなければならないという探偵小説の技法が用いられる。それは未来小説、例えば科学
技術の発展を誇示してディストピア社会を描いたA.ハクスリーの『すばらしい新世界』や、スター
リニズムやナチズムを風刺・批判したG.オーウェルの『1984年』の小説冒頭の描写における、
未来社会の明示という通常の手続きとは対照的である。未来社会であることを意図的に明示
しない手法から、現代の未来小説の現代社会への寓意性・メッセージ性の特徴を考察したい。
 

(5)日本のシェイクスピア――坪内逍遙を超えて――
  佐々木隆(武蔵野学院大学)

 2014年にシェイクスピア生誕450年、2015年に坪内逍遙没後80年、2016年にシェイクスピア
没後400年を迎えた。さらに2018年には坪内逍遙(1859-1935)によるシェイクスピア劇全訳及
び早稲田大学坪内博士記念演劇博物館開館90周年を迎えることになる。
 逍遙がシェイクスピア劇の翻訳・上演に取り組んだのは国劇向上、西洋演劇のドラマトゥルギ
ーを知ることであったことは周知の通りである。逍遙訳『該撒奇談自由太刀余波鋭鋒』(1884)
により明らかにしたことはシェイクスピア劇は「戯曲」ではなく、「台詞劇」であるということだ。逍
遙はこれ突き詰めるために近松門左衛門に取り組むと同時に朗読について注目した。さらに
逍遙が注目したのは活動写真(映像)の可能性でもあった。逍遙が注目した台詞劇、朗読、映
像という観点は、今やシェイクスピアについて誰も疑問に思わないだろう。
 戦後のシェイクスピアは歌舞伎と同様にGHQの強い影響を受け再開されたが、今やシェイク
スピア劇は2次創作を含めれば、毎週どこかで上演・上映されているのが現状である。
発表では逍遙のシェイクスピアの取り組みを中心に扱いながら、現在の新しいシェイクスピア・
パフォーマンスについても触れる予定である。


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